岩手の地酒を巡るシリーズ、今回は菊の司酒造(きくのつかさしゅぞう)。世界へ出た国際派や華やかな新進気鋭の蔵もいいけれど、菊の司の魅力は別のところにあります。岩手でいちばん長く、酒を造り続けてきた最古参——その一点です。
菊の司の創業は、江戸中期の安永年間(1770年代)と伝わります。250年。南部杜氏の技を受け継ぎながら、城下町・盛岡の酒文化をずっと支えてきた蔵です。
長らく蔵を構えていたのは、盛岡の中心部・中津川のほとり。城下町の風情が残る紺屋町界隈にあった蔵は、盛岡の景観の一部として親しまれてきました。街の記憶とともにあった酒、と言ってもいいと思います。
この蔵の面白さは「古さ」だけではありません。歴史の長い蔵ほど、実はドラマチックな現在進行形を生きていることがあります。菊の司はまさにそれです。
近年、菊の司酒造は経営体制を新たにし、盛岡から雫石町へ蔵ごと移転するという大きな決断をしました。岩手山を望む米どころで、最新設備と伝統の技を組み合わせた新しい酒づくりが始まっています。老舗が歴史に安住せず、設備も体制も刷新して次の250年へ向かう——その転換点に、いま私たちは立ち会えるわけです。
新しい蔵では、雫石で育つ岩手の酒造好適米——「結の香(ゆいのか)」「吟ぎんが」「ぎんおとめ」——を使った酒造りを進めています。地元の米、地元の水、最古の看板、新しい蔵。「伝統とは挑戦の積み重ね」という言葉を、これほど体現している蔵も珍しいと思います。
この蔵には古くから二つの銘柄があります。
同じ蔵でありながら、ハレの「菊の司」とケの「七福神」を使い分けられるのが面白いところ。祝いの席には菊の司の純米大吟醸を、毎日の晩酌には七福神を——という楽しみ方が、盛岡の呑み手の間で自然に根付いてきました。
菊の司の酒は、全体として「米の旨みを感じさせつつ、後味はすっきり」という南部流の王道スタイル。岩手の酒米を使った純米系は、香りが穏やかで食事の邪魔をしません。ふだんの食卓にすっと寄り添うタイプです。
盛岡から雫石へ移ったことで、小岩井農場や温泉のついでに立ち寄れる位置になったのも、旅呑み派には朗報。「岩手最古の蔵の、いちばん新しい酒」という飲み方ができるのは、たぶん今だけです。
菊の司は、「歴史の長さ」と「変わる勇気」を併せ持つ蔵です。250年続いた盛岡の蔵が、いま雫石の新天地で新章を書き始めている。昔ながらの七福神で晩酌しつつ、新蔵の菊の司で未来の味を確かめる——そんな新旧の呑み比べができるのは、今このタイミングだけかもしれません。岩手の酒を一本選ぶなら、この「引っ越したばかりの最古参」を候補に入れてみてください。
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