盛岡から北へ、岩手山の裾野が広がる八幡平市大更(おおぶけ)。ここに、江戸後期の文政年間から約200年続く蔵「わしの尾」があります。銘柄は「鷲の尾(わしのお)」。派手な全国展開をせず、地元で呑まれることを何より大切にしてきた、岩手でも屈指の「地酒らしい地酒」です。
岩手山には「巌鷲山(がんじゅさん)」という別名があります。春、山肌の残雪が鷲が翼を広げた姿に見えることから付いた呼び名で、「鷲の尾」の銘はこの霊峰にちなむと伝わります。蔵はまさにその山麓、岩手山の伏流水が湧く土地に建ち、仕込み水にはこの清冽な水を使ってきました。
名前も、水も、呑み手も岩手山とともにある。これほど土地と結びついた銘柄名は、そう多くありません。
わしの尾の酒づくりを語るとき、よく引かれるのが「地元の人が晩酌で呑む酒こそ本分」という姿勢です。実際、生産量の大半は岩手県内で消費されると言われ、盛岡の居酒屋や酒販店では定番でも、県外ではなかなか見かけません。
その酒質は、まさに晩酌のための設計です。
代表銘柄のひとつ「北窓三友(ほくそうさんゆう)」は、酒・琴・詩を友とするという白居易の故事に由来する風流な名前。この命名センスにも、蔵の品の良さが表れています。
わしの尾は、お取り寄せするより「岩手で呑む」のが似合う酒です。盛岡の酒場で地元の肴——ホヤ、短角牛、三陸の刺身——と合わせたときの馴染み方は、地元消費を貫いてきた蔵ならでは。八幡平方面へ温泉旅行に行くなら、宿の晩酌で探してみてください。岩手山を眺めながら呑む鷲の尾は、格別です。
全国区の派手さはなくても、200年間、同じ土地の同じ呑み手のために醸し続ける——わしの尾は、そんな「地酒の原点」を体現する蔵です。旅先の一杯にこそ真価が出るタイプ。岩手を訪れる機会があれば、ぜひ土地の空気ごと味わってください。