「どこが分からないか分からない」「全部わからない」。 塾でいちばんよく聞く言葉のひとつです。
このときやってはいけないのは、最初から説明を始めることです。 どこが分かっていないか誰も知らない状態で説明を始めると、 すでに分かっている話を延々と聞かせることになります。 生徒は退屈し、こちらは時間を使い、何も進みません。
私が最初にやるのはこれです。簡単な問題を数問、その場で解いてもらう。
見ているのは正解か不正解かではありません。
簡単に言うと、説明できない箇所を探す作業です。
やってみると分かりますが、「全部わからない」と言った生徒でも、 止まる場所はだいたい決まっています。 そこまでは手が動くのに、ある一点から先が出てこない。 「全部」ではなかったことが、本人の目にも見えるようになります。
ここまで来れば、あとはその一点をやるだけです。 「全部わからない」は、量が多すぎて手が出ないから出る言葉でもあります。 やることが1つに減ると、人は動けます。
1問目からまったく手が動かない子もいます。 このときの手順は決まっています。
私が解いて見せます。このとき手順だけでなく、なぜそうするのかまで話します。 「ここでこうしたいから、こうする」という流れを込みで見せる。 理由の入った説明はストーリーになるので、手順の羅列より残ります。
「同じように解いてみて」と言って、 数字だけ違うような、簡単な問題を解いてもらいます。 ここでいきなり応用に行かないのが大事です。目的は解かせることではなく、 手が動く状態を作ることだからです。
解けたら褒めます。調子に乗らせる、と言ったほうが正確です。
ふざけているように聞こえるかもしれませんが、ここは真面目にやっています。 「全部わからない」と言う子は、 できない前提で自分を見ることが習慣になっていることが多い。 1問でも「解けた」が入ると、次の1問に手が出ます。
調子が出ているうちに数をこなします。手が止まらない間は口を出しません。
ひと通り解けたところで、口頭で私に説明できるか聞きます。 「なぜそうしたのか」まで言えていたら、理解OKと判断します。 ここが抜けると、解けるけど分かっていない状態のまま先に進んでしまいます。
塾に来ていなくても、同じことはできます。
「わからない」を場所と理由に分解する。やっているのはこれだけです。
「どこで止まるか」を見ていると、止まり方そのものが何種類かに分かれるのが分かります。 そして、種類によって次にやることが変わります。
| 止まり方 | 本当の原因 | 次にやること |
|---|---|---|
| 問題文で止まる 読んだあと手が動かない |
言葉の意味を知らない(「変域」「ぶんぼ」など) | 解き方ではなく言葉を1つ調べる |
| 式が立たない 何算かが決まらない |
問題の型と解き方が結びついていない | 同じ型を3問続けて解く。型を体で覚える |
| 式は立つが計算で止まる | 前の学年の計算が抜けている | そこだけ戻る。今の単元をやっても直らない |
| 答えは出たが自信がない | 合っているかを自分で確かめる方法を知らない | 検算のやり方を1つ覚える(代入して戻す等) |
この4つは、やることが全部ちがいます。 「問題文で止まっている」子に3問続けて解かせても、意味がありません。 だから最初に、どこでなぜ止まるかを見るのです。
自分でやるとき、いちばん失敗するのが「難しい問題から始める」ことです。 難しい問題は、止まる場所が多すぎて、原因が特定できません。
選ぶのはこういう問題です。
ここで止まったら、大収穫です。 「全部わからない」の正体が、思っていたよりずっと手前にあったと分かるからです。 そして手前であるほど、直すのは簡単です。
逆にスラスラ解けたら、1段上げます。それを止まるまで繰り返す。 止まった1段が、あなたの現在地です。 これは、体力測定とまったく同じことをしています。
解けたら褒める、という話を上に書きました。 ふざけているように見えるので、真面目に補足します。
「全部わからない」と言う子の多くは、 できない前提で自分を見るのが習慣になっています。 この状態だと、解ける問題を前にしても手が出ません。 やる前から「どうせ無理」が先に来るからです。
ここで必要なのは、励ましではなく反証です。 「さっき自分で解いた」という事実が1個あると、 「どうせ無理」が成り立たなくなります。だから簡単な問題でいいのです。 むしろ簡単でなければいけません。
ひとりでやるときは、解けた問題に日付を書いて残しておいてください。 1週間後に見返すと、「できない」が事実ではないと自分で分かります。